人間微分論

ARTIFACT(http://artifact-jp.com/)さんのところで見つけて、
前々から思っていたネタだったので、文章を書いてみるよ。


「スピード」は「習慣性のある合法ドラッグ」なのだろうか? http://www.itmedia.co.jp/anchordesk/articles/0405/18/news004.html

IT業界では、速いことは良いことだ、の信念の元に十数年を過ごしてきた。しかし、それで誰が幸せになったのだろうか? 「永遠に走り続けるランニングマシン」の上に乗せられた「猿」の状態から勇気を持って抜け出すことが、今必要なのではないだろうか?

というわけで、
上のリンク元の内容としては、
「永遠に走り続けるランニングマシンから勇気を出して降りて、周りがスピードアップして生まれた時間を豊かに使いましょう」
というものです。
(要約に自信がないので、ソースを参照することをお薦めします。)


就職活動をしていて、IT業界を中心にベンチャーの会社も含め何社も回ってきたのですが、
やっぱりこの業界のキャッチフレーズの1つとして
「速さ」「スピード」ってのはしばしばお目にかかるものでした。
で、ある種“やったもん勝ち”であるこの業界で生き残るのには、
誰よりも・どこよりも速くってのが重要なんだろうなぁと納得すると同時に、
立ち止まれば、すぐに置いてかれる状況で、
見えない何かを常に急いで急いで追いかけ続けることってのは
とても疲れることだろうなぁと思ったわけです。
そうして“加速し続ける人間”ってのは一体どうなるんだろうと考えると、
ボクは、人間も社会も加速し、それに順応するために、
人間の物事の処理能力や、それに関連する感情が
進化していくんじゃないかと思ったわけです。
そして、「速く速く動こう」「処理時間を短く短くしよう」とすることで、
いつの日か人間の意識はゼロになってしまうんじゃないか。と。
肉体はあれど、意識は限りなくゼロに近づいていき、最終的にゼロ、消えてしまう。
そうして、人間は宇宙という大きな意思の元へ帰っていくのだ!


まぁ最後の、「大きな意思〜」は冗談ですけど、
遠い未来にそんな時代が来るのかしらん。
と、自分でも苦笑しながら思ったわけでした。


それとは別に、上記の竹村さんの文章は
ITとか情報通信という言葉は出てきてるけど、
これまでにもしばしば言われてきたことで、
とっても当たり前のことが書いてあるとは思うけど、
やっぱりそういう生き方が必要だよね
でも、難しいよね、と至極当然の感想を持ったわけでした。